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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)4273号 判決 1980年10月15日

原告 プリマ民主労働組合

右代表者中央執行委員長 三島一真

右訴訟代理人弁護士 菅井敏雄

同 湯浅甞二

同 相馬達雄

被告 プリマハム労働組合

右代表者中央執行委員長 山崎紀悦

右訴訟代理人弁護士 上條貞夫

同 福地絵子

同 原田敬三

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者双方の申立

一  原告(請求の趣旨)

1  原告が、左記の金員につき、一〇分の七の割合をもって共有持分を有することを確認する。

闘争積立金 金五八二八万七五〇九円

犠牲者補償積立金 金一六〇〇万五〇八八円

合計 金七四二九万二五九七円

2  被告は、原告に対し、金五二〇〇万四八一八円及びこれに対する昭和四八年六月八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行の宣言

二  被告(請求の趣旨に対する答弁)

主文同旨

第二原告の主張

一  プリマハム労働組合

プリマハム労働組合(以下「プリマ労組」という。)は、訴外プリマハム株式会社(以下「プリマハム」という。)の従業員が各事業所ごとに労働組合を結成し、右各組合が連合会を組織していたものを、昭和四〇年単一化して結成されたものである(昭和四七年四月二五日法人登記を行っている。)。

二  プリマ労組の法律上の分裂

プリマ労組は、以下に述べるような経過をもって、その内部に異質の集団を生じ、その対立抗争によりその存立及び運営が事実上不可能となり、一方で原告組合が結成されるとともに、他方でプリマ労組の名称を流用する被告組合が組織され、原告組合と被告組合とに法律上分裂した。

1  (プリマ労組内における異質的集団の存在について)

プリマ労組は、昭和四〇年以降毎年一回全国大会を開催していたが、昭和四四年一〇月の第五回定期大会前までは、組合内にさしたる対立はなかった。ところが、右第五回大会の前から組合内部に意見を異にする集団の対立があらわれ、右大会において一部支部で選出された代議員の代議員資格について疑義が唱えられた結果、大会が流会となり、各支部執行委員長らを含めての話し合いにより、同年一一月継続大会を開くこととなった。

昭和四四年一一月に開かれた第五回全国大会の継続大会において、プリマ労組の全日本食品労働組合連合会(以下「食品労連」という。)加盟が決定された。しかし、食品労連加盟については、各職場において事前の討論もほとんど行われないまま、一四三頁の議案書中の一頁の四分の一という目だたない議案で右大会に提案された。そして、時期尚早であるとの反対を押し切って、わずか一票差で可決されたものである。

食品労連加盟後の昭和四五年春闘では三波にわたるはじめてのストライキが行われたが、本部役員の指導に対して組合員の批判が強く、同年一〇月に開催された第六回定期全国大会の役員改選においては、中央執行委員一〇名のうち再選されたのは書記長外一名のみであった。

翌昭和四六年春闘では、食品労連の指導の下にストライキが行われた。はじめの三波のストライキにより、同年四月二三日、世間相場の金九五〇〇円の賃上げ額を上回りかつ同業他社である日本ハム金九八八九円、伊藤ハム金一万〇〇一〇円とほぼ同じ水準の金九九〇〇円の回答を得た。ところが、食品労連指導下のプリマ労組執行部は、日本ハム、伊藤ハム両社の労働組合が前記金額の回答をもって妥結しまた組合員のなかから妥結を望む声が強くでたにもかかわらず、その後更に一二波のストライキを強行した。しかし、わずかに金一五〇円の上積みを得たにすぎなかった。右のようなスト至上主義ひいては階級闘争至上主義的指導部及び食品労連に対して、これを批判する集団が組合員の間に次第に形成されていった。

右のような批判は、ハム・ソーセージ等の食肉製造・販売業界の状況から必然的に生じたものである。すなわち、プリマ労組だけが何波にもわたるストライキを行うと、得意先は同業他社の商品を仕入れる結果になる。というのは、得意先は、商品の性質上、長い期間の在庫品を用意しないため、ストライキが長びけば他社の商品を仕入れざるを得ないからである。現に、プリマ労組のストライキを知って、売り込み商品を多量に用意し市場拡大を図った他社があった。その結果、販売部門の組合員はストライキは他社の労組と共闘しないと実効があがらないばかりか、他社にプリマハムの市場を侵食され組合員の生活基盤を危うくすることを身をもって知った。特に、販売部門の組合員を主体とするプリマ労組東京支部において、ストライキに対する批判が強まった。

その結果、昭和四六年九月六日から八日にかけて開催された第七回全国大会においては、「食品労連の方針に基づき積極的な運動の展開をはかっていく。」「産業別労働組合の強化統一と確立を目指し食品労連の方針に基づき積極的な運動の展開をはかる。」旨の運動方針決議案が執行部から提出されたが、集中的な批判をあび、組合の自主性が確立されるように修正されて議決された。また、執行部に対する批判は、右大会での役員改選において再任をめざして立候補した蔵元書記長が過半数の信任票を得られず、新執行部は書記長を欠くことになったことにあらわれた。そのため、右改選で選出された中央執行委員全員はその場で辞任し、同年一〇月三一日に開催された継続大会において、ようやく新役員が選出された。

昭和四七年春闘においては、ストライキ前の団体交渉で賃上げ額として金一万〇七九八円の回答を得た。ところが、プリマ労組執行部は、スト権確立の投票で賛成率が低下し、九州支部においてはスト権が確立できず、東京支部では、「昭和四七年四月一五日の一万〇七九八円の第三次回答で妥結すべきである。」という支部大会決議まで行われたにもかかわらず、同年四月二七日、第一波のストライキを指令をした。しかし、東京支部はストライキに参加せず、その他九州、四国の工場部門においてもストライキ不参加者が存在し、合計一九三名がスト指令に従わなかった。このようにして、組合指導部ないし食品労連に対する批判的集団が、極めて明確に形成されていった。

その後開催された中央委員会において、右ストライキに参加しなかった東京支部の坂本中央委員に対する処分問題が討議された。同委員会は、三分の二以上の賛成により処分する旨を確認したうえ、二四票中一六票の賛成という投票結果をもって、組合員としての権利を三か月停止する旨の処分を決定した。

ところが、昭和四七年九月一五日から一八日にかけて開かれた第八回全国大会において右処分に対する坂本中央委員の上告が審議され、中央委員会が決定した東京支部坂本中央委員に対する権利停止処分は、五四票対四〇票で取り消された。これは、食品労連の指導に盲従してストライキをくり返す執行部に対する批判が、プリマ労組組合員の間に広がっていた表れである。

更に、右大会において、東京支部及び本社支部から食品労連脱退の提案がなされた。その理由は、プリマ労組単独でのストライキは組合員の生活をおびやかすが、食品労連に加盟している限り他社労組との共闘は困難であるから、食品労連を脱退してプリマ労組の自主性を取りもどしたうえで、食肉業界の他社労組との共闘を促進すべきである、というものであった。右提案は、職場における組合員の十分な討議を経たうえ、昭和四八年二月に開かれる第九回臨時全国大会において、決定されることになった。

また、第八回全国大会の役員改選で食品労連擁護派の四名の役員が信任されず定員一〇名の中央執行委員が六名しか選出されないという異常事態を生じた。しかし、「第九回臨時大会までの責任体制」という名目で六名の中央執行委員による中央執行委員会が発足することになった。山崎委員長、高橋副委員長、徳丸書記長、関口書記次長、高木執行委員、中山執行委員が右六名であって、第九回臨時全国大会当時の執行部である。

2  (第九回臨時全国大会について)

第九回臨時全国大会は、昭和四八年二月二五日から二日間の予定で神奈川地産ホテルにおいて開催された。

第九回臨時全国大会の代議員選挙においては、代議員候補者のほとんど全員が、食品労連脱退の是非について自己の見解を明らかにした。選挙の結果は、当選した代議員中、脱退賛成者が約五五名、反対者が約四〇名、不明の者が数名という状況であった。

食品労連脱退賛成者が多数であることを知った山崎委員長、徳丸書記長、大川北陸支部執行委員長(特別代議員)、古田代議員ら食品労連脱退反対派は、第九回全国大会の議事を混乱させ、時間切れ審議未了によって食品労連脱退案を廃案にすることを計画し、右大会において次のような行動をとった。

昭和四八年二月二五日、右大会が開催されるや、大川代議員は、一部の代議員が会場に到着していないとして議事に入ることに反対し、大会第一日目午前中の審議を空転させた。

同日午後からは、脱退反対派代議員らが、岡村食品労連委員長のあいさつの後、同委員長に対し、質問をしたいとか、残ってもらいたい等の要求を出して延々と議論し、午後三時過ぎまで実質審議に入ることを妨げた。

その結果、議事運営委員会が決めていた日程のうち第一日目午後六時三〇分から八時三〇分までの食品労連脱退についての審議予定時間は完全に削られた。

翌二六日午前八時三〇分から始まった大会第二日目において、山崎委員長が、代議員のもとに執行部から配布されていた議案書が「議案書(その一)」と「議案書(その二)」との二通から成っており、後者の議案書は食品労連から脱退すべきであるという意見と脱退すべきでないという意見を併記していた点について十分な説明をしないまま、今後とも食品労連に加盟して組合活動を続けていくべきであるとの提案を一方的に述べたところ、関西支部選出の古田代議員は、「中央執行委員会が提出の議案を食品労連脱退か反対かに意思統一をしなければ、本大会の脱退の可否を決定できない。」と主張して、議案書の取り扱いをめぐって議事が混乱した。高橋副委員長は、「議案書(その二)」の二頁目上段後半以降は討議資料であって議案ではない旨の説明を行った。しかし、代議員からは、討議資料を含めて二つの意見を併記した議案として取り扱うべきであるとの提案もされた。結局議案書のうち討議資料として提出されているものはあくまでも討議資料として取り扱い議案としない旨採決によって確認したが、第二日目午前中の審議は空転した。

同日午後からは、脱退反対派の代議員らが、各職場での実態・討議の報告に名をかりて、企業合理化に関する高橋副委員長らの見解について質問、非難を延々と続け、無用に中央執行委員会を開かせるなどして、大会を空転させ、大会終了予定時刻である午後四時を経過させた。

議事運営委員会は、同日午後五時四〇分ころ、午後六時四〇分までに食品労連脱退の可否を採決することを内容とする議事運営予定を大会に提出した。

これに対し、大川代議員は、「六時四〇分までに採決することは反対である。実質的な討議ができていないのは中央執行委員会の本大会での態度に問題があったせいである。中央執行委員会としては、どういう立場で議事運営に臨むのか。」といった発言をし、中央執行委員会に対し、無用な釈明を求めた。

山崎委員長は、三〇分にわたって中央執行委員会を開いて残り少ない時間を空費させたあげく、「議事を混乱させた原因は、中央執行委員会の不手際にあり、四人の中央執行委員は辞意を表明しており、自分も大会に進退をあずけたい。食品労連脱退問題については十分に討議したうえでこの大会で結論を見いだしてほしい。」と述べたが、右発言は、その時点における中央執行委員会の責任を全く果たしていない。

このため、川島代議員は、採決するのか継続審議するのかと中央執行委員会の見解を問いただしたが、山崎委員長は、「この大会で議論して結論を見いだしてほしい。」と述べるのみで、採決についての明言を避けた。

右のような会場・時間の制約、議事運営委員会の示した議事日程を無視して議事の引き延ばしを図る脱退反対派代議員の行動及び右行動に同調して右大会で食品労連脱退問題に決着をつけることを放棄した中央執行委員会の言動をまのあたりにして、中央執行委員会に対する不信任案が提出された(中央執行委員会に対する不信任については、プリマ労組の全国大会議事規則一三条二項が中央執行委員会の不信任に関する動議は議事運営委員会に提出する旨規定し、同規則一四条二項が不信任に関する動議は優先して審議しなければならない旨規定しているのみで、同規則及び組合規約が他に中央執行執行委員会の不信任につき明文をもって定めていないのであるから、中央執行委員会の不信任については、大会における他の議案と同様、同規約五三条二項により過半数の賛成をもって成立すべきものと解される。)。

大会は五分間休憩し各代議員の考慮の時間をとって中央執行委員会の不信任動議を採り上げるかどうかについて採決したところ、賛成五八名、反対二〇名、保留二二名で採り上げることが決定された。

ところが、古田代議員は組合規約上中央執行委員の解任については大会で三分の二以上の賛成を要するのであり、不信任決議は実質上解任であるから三分の二以上の賛成によって決議すべきであると主張し、不信任決議は解任ではないから過半数で決議することができるとの意見に反対し議事を紛糾させた。

そこで、大会は、まず、中央執行委員会に対する不信任は解任でないという決議をしなければならないことになった。

右決議後、脱退反対派は、再度、不信任決議成立には三分の二以上の賛成を要する旨主張し、議事を紛糾させた。

そこで、大会は、議事運営委員会による「この大会の決定に基づき次回大会で正式に規約改正手続をとることを前提に、三分の二以上の賛成を要するか、過半数をもって足るかを採決する。」旨の提案を承認したうえ、採決の結果、不信任決議は過半数の賛成をもって成立する旨決定した。

その後、不信任動議の投票が行われ、中央執行委員会全員に対する不信任決議が成立した。

古田代議員、大川特別代議員らは、「中央執行委員会が不信任されたのだから、中央執行委員長が招集する機関及び中央執行委員を構成員として含む機関は本大会を含め全て成立要件を欠くに至ったもので、不信任された中央執行委員会は本大会に参加する資格もない。」と主張して、大会を混乱、紛糾させた。

川島代議員は、大会ひいては組合運営を継続する緊急の措置として大会副議長を中心に議事運営委員会を開催して大会を継続することを提案したが、大川代議員の反対意見により、右提案は大会で取り上げられるに至らなかった。川島代議員は、次いで、書記長、書記次長を中心に議事運営委員会を開催することを提案したが、古田代議員が反対意見を述べ、右提案も大会で取り上げられなかった。川島代議員は、更に、大会が継続できないのなら中央委員会を開催すべき旨を提案したが、右提案もまた、古田代議員が反対意見を述べたことから、大会で取り上げられるに至らなかった。このように古田及び大川両代議員は、大会決議によって確認されている不信任決議の解釈を無視し、川島提案の内容をわい曲する等して攻撃し、大会の混乱を収拾する機会を失わせた。

更に、食品労連脱退反対派は、「流会だ。」「このままでは審議できないぞ。」「中執はここに居てはいけないんだ。」といったやじをとばして会場を騒然とさせた。

山崎委員長及び徳丸書記長は、右やじに応じるように、議壇から降りて会場から退場した。他の中央執行委員四名も、これに続いて退場した。

これとほとんど同時に、古田、大川代議員をはじめとする三九名の代議員が会場から退場した。ここに至って、大会は、定足数を割り、活動が不可能となった。

小松議長及び会場に残留していた支部執行委員長らは、退場した支部執行委員長に対し、その支部の退場した代議員らと共に会場にもどるように呼びかけた。しかし、退場した支部執行委員長及び代議員らは、会場にもどることを拒み、事態収拾のための何らの努力も行わず、約二時間を空費させた。

その結果、大会議長は、やむなく大会の審議打切りと議長団の解散を宣言した。

3  (中央執行委員会の機能停止について)

不信任案提案に先だって、山崎委員長は、前記のとおり、「四人の執行委員は辞任したと言っており、委員長自身は大会の決定にあずけたい。」旨大会に報告し、徳丸書記長は右報告に何ら異議を止めなかった。これは、中央執行委員六名全員が大会の決議いかんによっては辞任する旨、あらかじめ表明したものである。

不信任決議成立後、山崎委員長及び徳丸書記長は、「中央執行委員は大会に参加する権利がない。」旨の脱退反対派代議員の発言に呼応して、大会会場から退場した。他の四名の中央執行委員も、会場から退場している。

右退場行為により、中央執行委員六名は、あらかじめの辞意表明を、ふたたび黙示的に追認して、中央執行委員を辞任したものである。そして、不信任決議後の辞任は、大会の承認を得ることなくその効力を生ずるものと解すべきである。

右のように辞任の効力が発生しても、中央執行委員長は、条理上及び組合規約四四条三項(「役員は任期満了後も後任者が就任するまで業務を行わなければならない。」)の趣旨に照らし、中央委員会を招集して事態の収拾を図る等組合の統一的運営のため必要な措置をとる権限と義務を有するものである。ところが、山崎委員長は、退場後、何らの事態収拾策を講ずることなく二時間を空費し、辞任後も残された委員長としての権限と義務をも放棄した。

ここにおいて、中央執行委員会はその機能を完全に停止しプリマ労組は、規約にのっとって運営することが全く不可能となった。

4  (世話人会の開催と解散について)

川島代議員は、審議打切り、議長団解散の宣言後、事態収拾の方策を見いだすため、各支部執行委員長を集め、中央執行委員会を代行する世話人会を開催することにした。既に会場から帰っていた本社支部執行委員長と東京支部執行委員長とを除いた七名の支部執行委員長が集まった。そして、世話人会において、次の事項が決定された。

(一) 組合の財産等の管理は従来の中央執行委員六名が行う。

(二) 積極的な執行業務は見合わせる。

(三) 外部との債権債務関係については昭和四八年二月二七日をもって明確にし、それ以前に発生したものについては速やかに事後処理にあたる。

(四) 専従者としての賃金は財産管理に対する対価として従来どおり支払う。

(五) 専従者の職場復帰は、現段階(昭和四八年二月二七日)ではなんともいえないが出身支部が責任をもってあたる。

(六) 今後の組合組織は今後世話人会で法律問題等をからめ方向性をだしていく。

(七) 次回の世話人会を三月四日プリマ労組組合本部事務所で開催する。

右各事項は、代議員らに報告され、代議員らの承認を得たものであり、かつ山崎委員長以下中央執行委員全員がこれを承認した。なお、プリマ労組は元来独立した労働組合であった各支部が統一された関係から、組合活動の行き詰まりを各支部執行委員長が集まって打開した例は、過去にも何度かあった。例えば、第七回全国大会で選出された中央執行委員全員が辞任したときなどである。

山崎委員長は、翌二八日、「第九回臨時全国大会における中央執行委員会不信任に関する見解」なるものを、中央執行委員長の肩書きで全国にテレックスをもって流した。右見解の内容は、脱退反対派さえその成立を認めていた第九回臨時大会における中央執行委員会不信任決議の無効を宣言し、そのうえ、第九回臨時全国大会そのものを無視して、「中央執行委員会は、第八回定期全国大会の決議を執行する。」旨宣言したものであった。同年三月一、二日には、全国で、右見解と同内容のビラが組合員に配布された。これは、もはや山崎個人の行動とは言い難く、プリマ労組における山崎を中心とする少数派が組織的に第九回臨時全国大会を無視する行動にでたものである。

同月四日、第二回世話人会が開かれた。少数派に属する支部執行委員長四名のうち三名は、遅刻又は代理人出席という消極的妨害をした。多数派支部執行委員長五名が山崎の前記テレックス及びビラによる見解を非難し、これをやめさせるよう主張したのに対し、少数派支部執行委員長らは、積極的に山崎を支持し、山崎の見解に従って行動する意思を明確にした。多数派支部執行委員長らは、大会の不信任決議と世話人会における合意を尊重する立場から激しくこれを非難した。しかし、両派の抗争は治まらず、結局、世話人会自体が解散のやむなきに至った。

プリマ労組は、その存立と統一的運営のための最後の機会であった世話人会を解散させたことによって、完全に執行機関を失うことになり、組合の存立と民主的運営が決定的に不可能となって解体した。

5  (原告組合の結成について)

少数派が、大会決議を公然と無視し、組織的妨害行動を開始し、多数決原理を拒否したため、プリマ労組は執行機関を欠き組合としての機能を停止した。松尾満ら二八名の組合員は、組合員の団結権確保と差し迫った春闘に備え、組合の機能を回復し組合員の利益を守るため、新組合を結成するほかないと決意した。

松尾ら二八名は、同月四日、東京都港区所在の「ホテル東京」において、原告組合の結成総会を開き、規約を直接無記名投票により定め、役員を選挙管理委員のもとに直接無記名投票により選挙した。

原告組合の結成を知った多数のプリマ労組組合員が原告組合に加入するに至った。組合員数は、同月六日に一三六六名、同月七日に一六〇二名、同月八日に一八一七名、同月九日に一九〇二名となって、わずかの間に過半数を超えた。更に、同月一七日には二二九九名、同年四月一〇日には二五三七名、同年五月二〇日には二六〇一名、同年七月二九日には二八九二名となって、圧倒的多数の組合員の加入をみた。

同年三月四日の原告組合結成により、プリマ労組は、法律上の分裂を開始した。

6  (少数派の被告組合組織について)

山崎、徳丸両中央執行委員及び大川、林、東海林、津川の少数派支部執行委員長は、同年三月七日、プリマ労組の規約を冒用して、支部執行委員長全員を含めた拡大中央執行委員会の招集を通知した(ただし、山崎、徳丸を除く四名の中央執行委員に対しては招集通知がなされていない。)。

同月八日、山崎は、徳丸及び前記四名の少数派支部執行委員長に加えて、その他の五支部からのオブザーバー五名を招集し、翌九日、少数派分裂組織独自の執行機関を構成した。

更に、山崎ら少数派は、同年六月一〇、一一日、彼ら独自の方法で選出した代議員により構成される中央委員会において、プリマ労組規約を改正した(右改正の主たる内容は、「全国大会代議員を組合員五〇名に一名という割合で選出する。」という規約を、「組合員二〇名に一名の割合」に改めるというものである。)。しかし、右中央委員会の代議員選出は、プリマ労組規約に基づかず、労働組合法五条二項九号にいう組合員の直接無記名投票により選挙されたものともいえない。したがって、中央委員会における「規約改正」は、プリマ労組規約及び労働組合法に違反するものである。

同年七月、右改正規約に基づき選挙された代議員による全国大会が開催された。右大会で前記規約改正を承認するとともに、旧組合が分裂した旨の報告がされた。

右のとおり、新しい規約案に賛成する人々が改めて代議員を選挙して新たに組合大会を開き、右規約案を承認したことによってプリマ労組と同一性をもたない被告組合が新たに成立したものである。ここにおいて、プリマ労組の法律上の分裂は終結した。

なお、被告組合の組合員数は、同年五月一〇日現在で一〇〇八名である。

7  (まとめ)

以上を要約すれば、左記のようになる。

(一) プリマ労組は、その存続中、内部に運動方針について意見を異にする異質的な複数の集団をもち、それらの間に組合内で一致することのできない対立を生じ、組合執行部の不信任決議がなされ、執行部を欠くに至った。

(二) 更に、対立抗争が深刻化して統一のための努力にもかかわらず、多数決原理が機能を喪失し、組合大会で議決することができなかった。

(三) プリマ労組の先例に基づく世話人会による統一のための最後の努力にもかかわらず、少数反対派の協調を得られず、かえって、右反対派が、多数決原理の機能中になされた執行部不信任決議を公然と無視する宣言と組織的行動を開始した。

(四) 少数反対派がその態度を変更しないことが明らかになったため、プリマ労組の統一体としての機能が停止した。

(五) 多数派組合員の一部が、労働基本権たる団結権確保のため、やむを得ず組合を脱退することなく新組合を結成した。

(六) 新組合に過半数の組合員が極めて短期間に加入した。

(七) 他方、少数派は、自らを支持するであろう組合員のみを構成員すなわち選挙母体として独自の手続で各種機関を選挙して、組織的活動を始めた。

(八) 右両組合が相互に分裂を認めるなんらかの意思表示を行った。

以上の事実を総合すれば、プリマ労組は、事実上のみならず、法律上も分裂したというべきである。

三  プリマ労組の財産

プリマ労組には、昭和四八年三月四日現在、闘争積立金規定ないし組合規約六八条に基づく闘争積立金が金五八二八万七五〇九円存在した。

また、プリマ労組には、同日現在、同規約六四条及び犠牲者補償規則に基づく犠牲者補償積立金が金一六〇〇万五〇八八円存在した。

四  原告組合と被告組合との共有割合

原告組合の昭和四八年七月一五日(分裂完了時)現在の組合員数は少なくとも二六三九名であり、被告組合のそれは多くとも一〇〇八名であるから、原告組合は、プリマ労組の財産について、所属組合員数の比率(七二・三六対二七・六四)により、少なくとも七割の共有持分を有する。

五  結論

ところが、被告組合は、原告組合の持分を争い、プリマ労組の有していた闘争積立金及び犠牲者補償積立金を管理している。よって、原告は、被告に対して、右金員につき一〇分の七の割合をもって共有持分を有することの確認と、持分割合に相当する金員の支払を求める。

第三原告の主張に対する認否

次の事実は認める

一  第二の一の事実(プリマ労組)

二  第二の二の1の事実(プリマ労組内における異質的集団の存在について)のうち次の事実

プリマ労組は、昭和四〇年以降毎年一回全国大会を開催しており、昭和四四年一〇月には第五回定期全国大会を開催した。右大会において、一部の支部で選出された代議員の代議員資格について疑義が唱えられたことから、大会は流会となったが、各支部執行委員長らを含めての話し合いにより、右大会の継続大会を開くこととなった。同年一一月に開かれた右継続大会において、食品労連への加盟が決定された。

プリマ労組は、昭和四五年春闘において、三波にわたるストライキを行った。同年一〇月に開催された第六回定期全国大会での役員改選においては、中央執行委員一〇名のうち再選されたのは書記長外一名のみであった。

プリマ労組は、食品労連の指導下に、昭和四六年春闘を行ったが、初めの三波のストライキにより、同年四月二三日、世間一般相場の金九五〇〇円の賃上げ額を上回り、かつ同業他社である日本ハム金九八八九円、伊藤ハム金一万〇〇一〇円とほぼ同じ水準の金九九〇〇円の回答を得た。日本ハム、伊藤ハム両社の労働組合が前記回答をもって妥結をしたにもかかわらず、食品労連指導下のプリマ労組執行部は、その後更に一二波のストライキを実施し、前記回答額に加えて金一五〇円の上積みを得た。

昭和四六年九月六日から八日にかけて開催された第七回全国大会においては、「食品労連の方針に基づき積極的な運動の展開をはかっていく。」「産業別労働組合の強化統一と確立を目指し食品労連の方針に基づき積極的な運動の展開をはかる。」旨の運動方針決議案が執行部から提出されたが、右議案中、「食品労連の指示、指令、および要請ならびに諸方針については厳守することを原則とし、運動の展開をはかっていきます。」との記載を「食品労連の指示、指令、および要請ならびに諸方針については支持し、運動の展開をはかっていきます。」との記載に修正されて議決された。右大会での役員改選において、再任をめざして立候補した蔵元書記長が過半数の信任票を得られず、新執行部は書記長を欠くことになった。右改選で選出された中央執行委員全員はその場で辞任した。同年一〇月三一日に開催された継続大会において、ようやく、新役員が選出された。

昭和四七年春闘においては、ストライキ前の団体交渉において賃上げ額として金一万〇七九八円の回答を得たが、プリマ労組執行部は、同年四月二七日、第一波ストを実施した。しかし、執行部からのスト指令にもかかわらず、東京支部がストライキを行わなかったほか他の支部においてもストに参加しない組合員(合計一九三名)が存在した。

その後開催された中央委員会において、右ストライキに参加しなかった東京支部の坂本中央委員に対する処分問題が討議された。同委員会は、三分の二以上の賛成により処分する旨を確認したうえ、二四票中一六票の賛成という投票結果をもって、組合員としての権利を三か月停止する旨の処分を決定した。

同年九月一五日から一八日にかけて開催された第八回全国大会において右処分に対する坂本中央委員の上告が審議された。その結果、五四票対四〇票で中央委員会による前記処分を取り消す旨の決議がなされた。右大会では、次いで、「食品労連の指導が組合の自主性をそこなっていたから上部団体である食品労連を脱退すべきである。」との提案がなされた。右提案は、なお職場における十分な討論を経たうえで決定する方がよいということで、昭和四八年二月に臨時全国大会を開いて決定することとなった。また、右大会での役員改選においては、役員候補者のうち四名が過半数の信任票を得ることができず、中央執行委員は規約の定める定員一〇名に四名足りない六名しか選出されないという事態が生じた。しかし「第九回臨時全国大会までの責任体制」という名目で六人の中央執行委員による中央執行委員会が発足することになった。山崎委員長、高橋副委員長、徳丸書記長、関口書記次長、高木執行委員、中山執行委員が、右六名であって、第九回臨時全国大会当時の執行部である。

三  第二の二の2の事実(第九回臨時全国大会について)のうち、次の事実

第九回臨時全国大会は、昭和四八年二月二五日から二日間の予定で、神奈川地産ホテルにおいて、開催された。

右大会の二日目である同月二六日の開会後、山崎委員長は、食品労連脱退の是非について、今後とも食品労連に加盟して組合活動を続けていくべきである旨の提案を行った。右提案に先立って代議員に対して執行部から配布されていた議案書には、「議案書(その一)」と「議案書(その二)」の二通があった。後者の議案書は食品労連から脱退すべきであるという意見と脱退すべきではないという意見を併記していたため、関西支部選出の古田代議員から、「中央執行委員会内部の意見を統一することもできないまま脱退賛成、脱退反対の両意見を併記した議案を提出するというのでは執行部としての職責を果たしたことにはならず、中央執行委員会としての意思を統一したうえで全国大会に再度提案すべきである。」との意見が出され、議案書の取り扱いをめぐって議事が混乱した。高橋副委員長は、「議案書(その二)」の二頁目上段後半以降は討議資料であって議案ではない旨の説明を行った。しかし、代議員からは、討議資料も含めて二つの意見を併列した議案として取り扱うべきであるとの提案もなされた。結局、議案書のうち討議資料として提出されているものはあくまでも討議資料として取り扱い議案としない旨採決によって確認して午前中の討議を終わった。

昼食後、午前中に引き続いて、食品労連脱退の是非についての討議が行われたが、議事が混乱した。山崎委員長は、食品労連脱退問題は基本的問題であるだけに、十分審議して、大会のなかで結論を見いだしてほしい旨述べた。

関西支部の川島特別代議員は、「食品労連脱退問題について右大会で結論を出すのか、それとも継続審議とするのか。」という点について中央執行委員会の見解をただした。山崎委員長は、「この大会の場で結論を出すようにしていただきたい。」旨回答したが、川島代議員が「脱退問題について無記名投票で採決するということか」と重ねて質問したのに対しては、「採決方法について申し上げたのではなく、この場で論議して結論を見いだすようにしていただきたい。」と回答して、採決についての明言を避けた。

この時、中央執行委員会全員に対する不信任案が緊急動議として提出された。

右大会は、採決のうえ過半数の賛成をもって、川島代議員提出の右動議を議案として取り上げることを決定した。ところが、古田代議員は、組合規約上役員解任の場合には三分の二以上の賛成を要するのであるから不信任の場合も解任に準じて三分の二以上の賛成によって決議をすべきであると主張し、不信任決議は過半数によるべきであるとの意見と対立した。

大会は、まず、中央執行委員会に対する不信任が解任と解されるか否かについて採決を行い、過半数の賛成をもって、不信任は解任と解さない旨決定した。次いで、不信任決議の採決方法について本大会で決定した結果を組合規約として条文化する旨を採決して決定したうえ、不信任決議の取扱いについては過半数の賛成をもって決議することを直接無記名投票により決定した。

続いて、右大会は、中央執行委員会不信任について直接無記名投票を行った。右投票の結果、過半数の賛成票を得て、中央執行委員会全員に対する不信任が決議された。

右不信任決議後、川島代議員は、緊急の措置として大会副議長を中心に議事運営委員会を開催して大会を継続することを提案したが、大川代議員の反対意見により、右提案は大会で取り上げられるに至らなかった。川島代議員は、次いで、書記長、書記次長を中心に議事運営委員会を開催することを提案したが、古田代議員が反対意見を述べ、右提案も大会で取り上げられなかった。川島代議員は、更に、大会が継続できないのなら中央委員会を開催すべき旨を提案したが、右提案もまた、古田議員が反対意見を述べたことから、大会で取り上げられるには至らなかった。

この間、古田代議員が「不信任を受けたから中央執行委員はこの大会に参加する権利がない。」と発言したのをはじめ、「不信任動議が採決されてからは中央執行委員がその場にいるのはおかしい。」「中執はここにいてはいけないんだ。」といった発言が無秩序になされ、山崎委員長、徳丸書記長ら中央執行委員六名は退場した。

大会議長は、昭和四八年二月二七日早朝、審議の継続は困難であるとして、審議打ち切りと議長団の解散を宣言した。

四  第二の二の4の事実(世話人会の開催と解散について)のうち次の事実

同日、議長による宣言後、大会会場において、川島関西支部執行委員長、大川北陸支部執行委員長、津川茨城支部執行委員長、松尾九州支部執行委員長、末松四国支部執行委員長、林北海道支部執行委員長、東海林東北支部執行委員長の七名が集まって、事態収拾のための話し合いを行った。右話し合いの席上、右集会は「世話人会」と呼称されたが、次回の「世話人会」を同年三月四日プリマ労組組合本部事務所で開催することを決めて、右集会は解散した。

翌二月二八日、山崎委員長は、「第九回臨時全国大会における中央執行委員会不信任に関する見解」と題して、「右不信任案の提出は全国大会議事規則所定の手続に違反してなされたものであり、実質的には役員の解任要求に基づいた決議であるにもかかわらず三分の二の同意を得ていないから無効であり、更に、右の点をおくにしても、右不信任決議は、不信任は解任ではないとの大会決議を前提としてなされたものであるから、中央執行委員会は解任されていない。中央執行委員会は、第八回定期全国大会で決定された運動方針に従い、組合運営を執行する。」旨の見解を表明した。

同年三月四日、第二回「世話人会」が開かれた。出席した各支部執行委員長九名中四名が不信任決議についての山崎委員長の前記見解を支持し、何らの結論も見いだせないまま同会は解散した。

五  第二の二の5の事実(原告組合の結成について)のうち次の事実

同年三月四日、松尾満、川島、関口らプリマ労組組合員二八名は、原告組合を結成した。

六  第二の二の6の事実(少数派の被告組合組織について)のうち次の事実

原告組合結成に参加しなかった、山崎委員長をはじめとするプリマ労組中央執行委員らは、同年三月一〇日ころ各支部の選挙管理委員を任命し、各支部で投票によって支部執行委員長、同副委員長、同書記長、同執行委員らを選出した。同月二三、二四日、右役員を構成員とする中央委員会を開催して、右委員会において中央執行委員を補充した。

次いで、同年六月に組合員二〇名に一名の割合で大会代議員の選出を行ったうえ、同年七月一五日、右代議員による全国大会を開催した。右大会に提出する議案書の経過報告において、プリマ労組が分裂した旨の報告がされた。

そして、プリマ労組組合員のうち原告組合に加入しなかった者は、その後もプリマ労組の名称を用いて、山崎を中央執行委員長として、引き続き組合活動を行っている。

第四被告の反論

一  (プリマ労組の分裂について)

原告組合は、プリマハムと結託した一部の職制組合員二八名が、昭和四八年三月四日、被告組合を脱退して結成したものであり、プリマハムの全面的なバックアップのもとにその組織を拡大し、更に被告組合の弱体化を意図して被告組合の財産を奪い取ろうとしているものにほかならない。

原告組合はわずか二八名で結成されたものであり、脱退届は出されていないにしても、この二八名を中心として全く別個の規約と綱領をもつ組合を結成し活動を始めた以上、それは被告組合から脱退したものとみなすべきもので、法律上の分裂とはいえない(そもそも「分裂」なる法概念は否定されるべきであるが。)。

二  (異質的集団の存在について)

昭和四六年春闘のストライキは、次のような理由で継続されたものである。すなわち、昭和四五年春闘当時から「五ケタにのせよう」というのが組合員のスローガンとなっており、昭和四六年には何としても賃上げ額を五ケタにしなければ妥結してはならないという組合員の圧倒的多数の要求があったし、賃金以外の諸要求についても実現まで闘おうという決意が固かったからである。

昭和四五年の第六回定期全国大会での役員改選において、書記長他一名のみが再選されたのは、それ以外の役員が再選を望まず立候補しなかったためで、組合の方針をめぐる争いなどはない。

昭和四六年の第七回定期大会で蔵元書記長が過半数の信任を得ることができなかったのは、同書記長の個人的行為に対する批判によるものであって、執行部全体に対する批判によるものではない。右大会において、第三議案である食品労連の運動方針は、「厳守する」を「支持する」に修正しただけで、圧倒的多数をもって可決された。

昭和四七年春闘においてストライキに反対するグループは、スト不参加者がストライキに入るように指名された約二〇〇〇名のうち一九三名と一割にも満たないことが示すように、組合員中のごく一部の者にすぎない。

第八回全国大会において、食品労連脱退の提案がなされたが、同時に、プリマ労組が食品労連にとどまってそのなかで積極的に活動していくことも確認している。右大会の役員改選では、山崎委員長が、「今までの方針に基づいて従前通りの方向でやっていきたい。」との中央執行委員会見解を表明して、七五対一五の圧倒的多数で再選され、徳丸書記長も八〇対一一で再選されている。

三  (第九回全国大会について)

第九回全国大会において、議案書の「その一」と「その二」とが提出された経緯については、大会席上山崎委員長から丁寧な説明がなされたばかりか、「議案書(その二)」は正式に資料として取り扱う旨執行部から申し出て、これが大会で認められている。したがって、議案書の取り扱いが執行部不信任の理由とされるゆえんは全くない。

昼食休憩後の再開議事で速やかに食品労連脱退問題の採決に入れなかったことが中央執行委員会の責任によるものでないことは、討議の進行を検討すれば明らかである。議事が円滑に進行しなかったのは、一部の中央執行委員の不規則発言によるものである。高橋副委員長の合理化賛成・企業利益擁護の発言がそれである。

食品労連脱退問題については、山崎委員長が「この大会で結論を出すようにしていただきたい。」旨繰り返し、強調している。食品労連脱退の是非が十分採決できる状況にありながら、それができなかったのは、川島代議員による中央執行委員会不信任動議の提案を原因とする。

原告主張のような「退場代議員に対して残留した代議員が熱心に会場にもどるように呼びかけた」事実は存在しない。事実は、不信任決議で執行部が一時退場したため、食品労連脱退派、脱退反対派を問わず、北陸支部の者を中心とした一部代議員が、規約に基づいて大会が運営されることを期待して一時待機したにすぎないのであり、大会のボイコットやいっせい引き揚げとは異なり、いつでも即時に会場にもどれる状況にあった。

議長は、右退場後、退場した代議員にもどるよう呼び掛けることもなく休憩を宣言しており、その後、全代議員を集めて再び大会を開催し、審議打ち切りを宣言している。審議打ち切りを宣言した理由は、「長時間、いろいろ審議してまいりましたし、肉体的にも、思考力の面でも、非常に限界にきておるというふうに判断した」ためである。決して、分裂とか、大会が突如分解したためでないことは明らかである。

四  (中央執行委員会の機能停止について)

中央執行委員が、不信任動議の効力をめぐって混乱した大会の議論を収拾するため、大会会場から一時退場したことが、中央執行委員としての権利と義務を放棄したことになる理由はない。山崎及び徳丸両執行委員の退場は、勝手に代議員が発言するため、執行部としてとりあえず席を外し、事態を落ち着かせるとともに大会の問題について整理するための機会を得る趣旨でなされたのであって、現に、退場した二人は、何時でも議場にもどれるロビーのところで意見を交わし、執行部としてどうすべきかを話し合っていたのである。

中央執行委員の辞任については、規約五八条が、中央委員会又は全国大会の承認を要する旨規定している。本件では、中央執行委員の辞任について承認手続はとられていないのであるから、単なる大会会場からの一時退場が中央執行委員としての権限と義務に影響を与える余地はない。

そもそも、中央執行委員会の不信任決議は、プリマ労組の全国大会議事規定に違反した無効な規約改正に基づくものであるから、効力を有しないものといわなければならない。すなわち、組合規約上解任に関する規定はあったが不信任に関する規定がなかったから、不信任決議を行うためには不信任の決議方法を定める規約改正の手続が必要であった。ところが、全国大会議事規則が、一二条において、大会で審議すべき議案(修正案を含む。)は、大会開催日の一〇日以前に中央執行委員会に提案しなければならない、と定めているところ、中央執行委員会の不信任に関する規約改正案は、事前に中央執行委員会に提出されていなかったから、不信任決議の決議方法に関する審議は、本来、右大会においてなしえないものであった。しかるに、右大会は、「中央執行委員会の不信任に関する決議は直接無記名投票の過半数以上の同意を要する」と決議してしまった。したがって、右決議に基づく不信任決議は、全国大会議事規則に違反したものであり、無効である。

仮に、不信任決議が有効であったとしても、「不信任は解任ではない」という決議を前提としてなされたものであるから、中央執行委員会の権利・義務には何らの影響も及ぼさない。

五  (世話人会について)

原告の主張する「世話人会」は、プリマ労組の規約上の機関でもなく、大会の席上参加者にはかられて公式に作られた機関でもない。

そもそも、「世話人会」なるものは、大会で決められたものではない。不信任決議の後、執行部退場の事態のなかで、会場に残っていた代議員らが川島に対し、「あんたが先のことを考えずに不信任動議を提案したからこんなことになった。」等とつめよったことから、やむなく開いた支部執行委員長の(それも九支部のうち二支部は欠けた)集まりにすぎず、「全代議員から収拾を委託された」というような公式なものではなく、むしろ逆に、代議員から糾弾されてあわてて集まって開いた相談にすぎないのである。ちなみにこの会合を「世話人会」とする申し合わせもなく、右呼称は、川島が居残っていた代議員らに対し状況を説明する際はじめて用いたにすぎない。

右「世話人会」は、「不信任決議が法的に有効か否か、有効だとした場合、中央執行委員会の権限にどのような影響を及ぼすのか」を法律的に明らかにすること、そのための集まりを同年三月四日組合本部で行うことの二点だけを決めて約一時間で散会した。

プリマ労組は、大会終了の翌日から直ちに右不信任決議の効力について組合規約等にてらして検討し、更に弁護士にも鑑定を依頼した結果、「右不信任案は無効であり、仮に有効であったとしても、中央執行委員会の権限には何らの影響もない。」との結論を得たので、同年二月二八日、中央執行委員長として右見解を明らかにし、中央執行委員会として、組合の運営にあたることを全組合員に表明したのである。

以上の経過で明らかなように、原告主張の「世話人会」なるものは、規約上存在しない機関であるばかりか、全国大会においてもその設置や権限について全く論議のなされていない集会であって、本来右世話人会の決議は、プリマ労組を拘束するものではない。更に、右世話人会の申し合わせも、不信任決議の法的効果を明らかにするまでの暫定措置として行われたのであるから、不信任決議が組合の正式機関である中央執行委員会の権限を何ら変更するものでないことが明らかにされた以上、世話人会を存続させる意義も必要もないのである。

したがって、第二回の世話人会の議論がどうであろうと、これによってプリマ労組自体の存立や運営に何らの影響をも及ぼさないことも明らかである。そして、同年三月四日に開かれた第二回世話人会の幕切れは、借りていた本部事務所の貸与時間の終了がせまったという物理的理由のために終了したものであって、決して原告が主張するように「収拾しがたい混乱のなかで」右混乱を理由として終了したのではない。

なお、第五回大会の際開かれた「世話人会」は、中央執行委員会が招集したものであって、支部委員長が独自に集まったものではない。

六  (原告組合の結成について)

川島、関口らは、同年三月四日、二八名をもって原告組合を結成した。しかし、プリマ労組は解散していないのであって、原告組合は、プリマ労組との間に何らの同一性もない別個の労働組合といわなければならない。

すなわち、労働組合法一〇条は、「労働組合は、左の事由によって解散する。一 規約で定めた解散事由の発生 二 組合員又は構成団体の四分の三以上の多数による総会の決議」と、その解散事由を定めている。プリマ労組組合規約には解散事由を定めた規定は存在しないから、同組合が解散するには組合員の四分の三以上の多数による総会の決議がなければならないが、プリマ労組がこのような決議をしたことはないのであるから、同組合は解散していない。なお、世話人会の解散が何ら法律上の意味を持たないものであることは前述のとおりである。

そして、原告組合が、プリマ労組と同一性をもたない、全く別個の労働組合であることは、原告組合が三六五〇名のプリマ労組組合員のうちわずか二八名で結成されていること、別個の組合規約を有していること、結成後新たに組合加入手続を必要としてこれを行っていること、独自の財産を計上して活動を開始したこと等により明白である。

したがって、プリマ労組の分裂を前提とする原告の主張がその前提を欠き失当であることは明らかといわなければならない。

七  (被告組合の継続性について)

被告組合は、原告組合を結成しこれに加入した者が組合員でなくなったことを除いて、すべての面で、従前のプリマ労組と同一の労働組合として組合活動を継続して行っているものである。

山崎委員長は、同年三月七日、原告組合結成を知らないまま、組合規約二三条一項(「中央執行委員長は審議事項がとくに重要と認められる場合は、これを拡大中央執行委員会に諮ることができる。」)に基づき、拡大中央執行委員会を招集した。ところが、右招集手続を行った直後、原告組合結成の事実が判明したため、原告組合に参加していない中央執行委員及び支部中央執行委員長だけを、拡大中央執行委員会の構成員とする旨訂正の連絡をした。

そして、被告組合は、同年七月一五日に開催した第一〇回全国大会において、規約六一条に基づき、原告組合結成に参加した二八名らを、除名した。なお、右全国大会の代議員選出は、代議員の数を「組合員五〇名に一名」から「二〇名に一名」に変えて行ったものであるが、組合員の大巾な変更のなかで民主的運営を深めるものであって、労働組合法(代議員制は例外で全員参加が原則)の趣旨にそう運営として、何ら問題とするにあたらないものである。

第五証拠《省略》

理由

第一  事実関係

事実摘事欄第三の一ないし六掲記の各事実は当事者間に争がなく、右当事者間に争いのない事実に、《証拠省略》を総合すれば、次の各事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠は存在しない。

一  プリマ労組

プリマハムは、食肉を加工してハム・ソーセージ等を製造し、製品を小売店に卸し売りし、直営店での小売販売をも行う会社で、もと社名を「竹岸畜産工業株式会社」と称したが、昭和四〇年五月に社名を変更して現在の社名となったものである。

プリマハムは全国数ヵ所に事業所を有しており、プリマハム従業員は昭和三六年ころから各事業所ごとに労働組合を結成したが、やがて、右労働組合による連合会を組織した。右連合会から昭和四〇年五月二九日単一の労働組合としてプリマ労組が結成された(プリマ労組は、昭和四七年四月二五日、法人登記を行っている。)。プリマ労組は、北海道、東北、北陸、茨城、本社、東京、関西、四国、九州の各支部から構成され、最高決議機関として全国大会を、次級決議機関として中央委員会を、執行機関として中央執行委員会を、それぞれ有していた。全国大会は、組合本部役員(中央執行委員一〇名及び会計監査二名。)並びに議決権を有する全国大会代議員及び特別代議員をもって構成される。全国大会代議員は、全国大会ごとに組合員の直接無記名投票により支部単位で組合員五〇名に一名の割合で選出される。特別代議員は、各支部において選挙で選出された支部執行委員長、同副委員長、同書記長がなる。プリマ労組の組合員数は昭和四八年二月現在で、約三六五〇名であった。

二  第九回臨時全国大会に至る経緯

1  プリマ労組は、昭和四〇年以降プリマハム従業員により構成される企業内労働組合として組合活動を行い、毎年一回全国大会を開催していたが、昭和四二年の第三回定期全国大会、昭和四三年の第四回定期全国大会のころから、上部団体加盟問題が組合内で検討されるようになった。

昭和四四年一〇月一〇日、プリマ労組第五回全国大会が会期三日間の予定で開催された。開会直後一部の支部において選出された代議員につき、組合規約に定められた選出方法(組合員による直接無記名投票)が履行されていないとして、代議員資格に疑義が唱えられた。このため、中央執行委員会は、「第一日目の大会を休会として中央執行委員会に各支部代表者を加えて、事態収拾のための話し合いを行う。」旨を提案して、大会で了承された。右協議の結果、翌一一日、選挙管理委員長の「右大会構成員一〇〇名中、四四名が代議員の資格を欠き、大会は成立しない。」旨の報告に従い、大会を流会として、あらためて右大会の継続大会を開くことに決めた。

同年一一月に開かれた右継続大会において、食品労連を上部団体としてこれに加盟する旨の議案が提案され、採決の結果、僅少差で食品労連加盟が決議された。

2  プリマ労組は、食品労連加盟決議後の春闘である昭和四五年春闘において、はじめて三波にわたるストライキを行った(なお、ストライキ権を九〇パーセントを超える賛成をもって確立している。)。

昭和四六年春闘において、プリマハムの第一次回答(三月二三日)の賃上げ額金九三〇〇円の提示を不満としたプリマ労組は、同年四月一二日から三波のストライキを行い(ストライキ権を八六・九パーセントの賛成をもって確立したが、東京支部では過半数の賛成が得られなかった。)、同月二三日、プリマハムから金九九〇〇円の回答を得た。プリマ労組は、同日以降更に一二波のストライキを実施し、同年五月一八日、賃上げ額金一万〇〇五〇円の回答で妥結した。

昭和四六年六月二三日から四日間にわたり昭和四五年度第三回中央委員会が、開催された。右中央委員会で昭和四六年春闘の経過報告が行われたが、その中で、食品労連の具体的指導体制に問題があった、あるいは上部団体の意向と意見ばかりに左右され、単組の独自性がなかった旨の指摘があった。

昭和四六年九月六日から八日にかけて開催された第七回定期全国大会において、執行部は、「食品労連の方針に基き積極的な運動の展開をはかっていく。」「産業別労働組合の強化統一と確立を目指し食品労連の方針に基き積極的な運動の展開をはかる。」旨の運動方針決議案を提出した。大会は、右議案中、「食品労連の指示、指令および要請ならびに諸方針については厳守することを原則とし、運動の展開をはかっていきます。」との記載を、プリマ労組の単組としての自主性を尊重する表現に改めるという趣旨で、「食品労連の指示、指令および要請ならびに諸方針については支持し、運動の展開をはかっていきます。」との記載に修正して議決した。

右大会での役員改選において、再任をめざして立候補した蔵元重範書記長が過半数の信任票を得ることができなかったため、新執行部は書記長を欠くことになったうえ、右改選によって選出された中央執行委員がわずか五名であったため、中央執行委員全員は、その場で、大会に対し、辞意を表明した。右辞意表明に対し、議事運営委員会から、「中央執行委員全員の辞任を大会で承認したうえ、右中央執行委員に各支部代表者を加えた拡大中央執行委員会においてあらためて役員候補者を選出して右大会の継続大会で役員選出を行う。」旨の収拾案が提示された。大会は、右提案を了承して、中央執行委員全員の辞任を承認した。同月一八日から二〇日にかけて、支部代表者として支部執行委員長が加わった拡大中央執行委員会が開かれた。右委員会は、右委員会構成員中、中央執行委員三名及び各支部執行委員長九名の一二名をもって役員選考委員会を設けて、本部役員候補者を人選することに決めた。そして、同年一〇月三一日に開催された第七回定期全国大会の継続大会において、あらためて、役員選考委員会により推薦された候補者を本部役員に選出した。

3  昭和四七年春闘において、ストライキ(ストライキ権は六八・九パーセントの賛成をもって確立された。しかし、九州支部では四〇・三パーセント、四国支部では五二・五パーセント、東京支部では六〇・六パーセントの賛成しか得られなかった。)実施前である同年四月一五日、プリマハムは第三次回答として賃上げ額金一万〇七九八円を提示した。プリマ労組執行部は、右回答を不満として、更に高額の回答を要求した。ところが、同月一八日、プリマ労組東京支部は支部大会を開催して、「四月一五日の会社回答で組合は妥結すべきだ。」「以後、ストライキ指令については拒否する」等を内容とする支部大会決議を行い、東京支部の右決議の影響は他支部にも及んで、九州、四国の各支部においても支部大会が開催されて同様の決議案が提案された(但し、議決には至らなかった。)。このような状況のなか、プリマ労組執行部は、各支部組合員のうち合計約二〇〇〇名に対して、同月二七日に第一波ストを行うよう指令した。しかし、東京支部六一名、茨城支部一八名、本社支部一六名、四国支部九八名の合計一九三名の組合員が右指令に従わずストを実施しなかった。二七日のストライキで脱落者がでたため、翌二八日に実施する予定であったストライキは中止され、同日出された賃上げ額一万〇九五二円の回答で闘争を収拾することになった。

同年六月一八日から二〇日にかけて開催された昭和四六年度第二回中央委員会において、東京支部闘争委員長代行として四七年春闘の指導にあたった坂本寿夫東京支部副委員長に対する処分問題が討議されたが、結論は出なかった。同年七月一日に再開された中央委員会において、同委員会の三分の二以上の賛成により処分できることを確認のうえ投票を行い、二四票中一六票賛成という結果をもって、坂本東京支部副委員長に対し、組合員としての権利を三か月停止する旨を決定した。

このころ、プリマ労組内においては、東京支部、本社支部等の支部を中心に、組合員の間で、「食品労連に加盟していると、プリマ労組の単組としての自主性が失われ、組織が混乱し、団結が弱められる。」「食品労連の指導する階級闘争至上主義を捨てて、プリマハムの企業成績向上に協力して会社の繁栄とともに組合員の生活水準向上をはかるべきである。」「食品業界の同業他社と共闘することなくプリマハム単独でのストライキを継続すれば市場におけるシェアを失うことになる。」といった意見が表明されるようになっていた。更に、当時同業他社の大手として伊藤ハム、日本ハムが存在したところ、伊藤ハムの伊藤ハム労組(組合員約三一〇〇名)、日本ハムの日本ハム革新労組(組合員約三〇〇〇名。なお、日本ハムには、右組合のほか、総評化学同盟日本ハム労働組合が存在する。)の両組合は、食品同盟を上部団体としてこれに加盟していたため、「同業他社と共闘できる体制づくりが今後の組合運動の展開と団結の強化のための前提であるが、プリマ労組が食品労連に加盟しているかぎり、伊藤ハム労組、日本ハム革新労組との共闘は困難である」ことを理由として、食品労連からの脱退を主張する意見も表明されるに至った。

同年九月一五日から会期三日間の予定で第八回定期全国大会が開催された。右大会は、前記中央委員会の処分に対する坂本東京支部副委員長の上告を審議し、五四票対四〇票の投票結果で、右処分を取り消した。右大会においては、本社支部及び東京支部から「上部団体である食品労連を脱退すべきである。」との提案がなされた。大会は、右提案を討議したが、なお職場における十分な討議を経たうえで決定する方がよいということで、昭和四八年二月に臨時全国大会を開催して右提案に対する結論を出すことを決めた。

右大会での役員改選においては、中央執行委員立候補者一〇名のうち四名が信任投票において過半数の信任票を得られなかったので、中央執行委員は、規約の定める定員一〇名に四名足りない六名しか選出されないという事態が生じた。そこで、善後策を検討するため、議事運営委員会が開かれた。しかし、議事運営委員会では結論がでず、大会は一日延長された。四日目の大会において、「第九回臨時全国大会までの責任体制」という名目で六人の中央執行委員による中央執行委員会が発足することを承認した。中央執行委員長山崎紀悦、同副委員長高橋寛、同書記長徳丸省一、同書記次長関口輝昭、中央執行委員高木市郎及び同中山稀之が、右六名であって、第九回臨時全国大会開催当時におけるプリマ労組執行部である。

三  第九回臨時全国大会

1  プリマ労組第九回臨時全国大会は、昭和四八年二月二五、二六日の二日間の日程(二五日午前一〇時開会、二六日午後四時閉会)で、神奈川県茅ヶ崎市緑ヶ浜一二―一所在「神奈川地産ホテル」において、「(一)第八回定期全国大会において提起された食品労連脱退案について結論を出すこと (二)欠員となっている本部役員の補充選挙 (三)昭和四八年春闘方針の確認 (四)労働協約改廃交渉の経過報告」を議題として、開催された。

2  昭和四八年二月二五日午前一〇時三〇分より、プリマ労組第九回臨時全国大会が開会された。冒頭、議事運営委員会から、「右大会の構成人員一〇二名(全国大会代議員七六名、特別代議員二六名)中、九三名が出席していて組合規約五三条に定める三分の二の定足数を満たしているから大会が成立する。」旨の報告がなされた。続いて、大会議長団として、本社支部の小松武特別代議員(同支部執行委員長)、茨城支部の佐藤仁代議員、九州支部の垣内哲男代議員の三名が選ばれた(三名の議長団は、交代で一名ずつ議長を務め、その間他の二名は副議長を務める慣例であった。)。

議長団選出後、北陸支部選出の大川暁特別代議員(同支部執行委員長)が、東北支部の代議員のうち六名が列車の都合で会場に未到着であることを指摘して、「右六名が到着するまで大会は審議に入るべきではない。」と発言した。このため、他の代議員から、「定足数を充足して大会が成立している以上、予定どおり議事進行すべきである。」との意見と、前記大川発言に同調する意見が、こもごも、発言されて、議事は紛糾した。午前一一時三〇分、議事運営委員会の決定に基づき、予定より休憩時間を早めて、午前一一時三〇分から午後零時三〇分まで休憩することになった。

なお、右休憩に先立って、議事運営委員会の定めた議事進行日程が、次のとおり、議長から発表された。

二五日 午前一〇時~一二時

中央執行委員長あいさつ、岡村食品労連委員長あいさつ、祝電ひろう

午後零時~一時

休憩(昼食)

午後一時~五時三〇分

活動経過報告、七三春闘方針案説明

午後五時三〇分~六時三〇分

休憩(夕食)

午後六時三〇分~八時三〇分

食品労連脱退の是非について(審議)

二六日 午前九時~一二時

右同

午後零時~一時

休憩(昼食)

午後一時~一時三〇分

食品労連脱退の是非について(決議)

午後一時三〇分~二時

労働協約改廃交渉経過説明

午後二時~三時三〇分

本部役員補充選挙

午後三時三〇分~四時

新役員あいさつ、議長団解任、閉会の辞、労働歌合唱、団結がんばろう三唱

同日、午後零時三〇分、遅れて到着した東北支部の代議員六名を加えて(大会構成人員一〇二名中九九名出席)、大会の審議が始まった。山崎中央執行委員長のあいさつに続き、岡村食品労連委員長が、一時間にわたって、あいさつを行った。岡村委員長のあいさつが終わった後、代議員のなかから、引き続き岡村委員長に大会会場に残ってもらって大会のなかで代議員からの質問に答えてもらうべきであるとの発言がなされた。これに対して、大会の前日に議事運営委員会で決定したとおり岡村委員長にはあいさつだけで帰ってもらうべきであるとの反論も代議員からなされて、議事が紛糾した。午後三時一〇分、採決によって、岡村委員長に会場に残ってもらう必要はない旨を確認して、ようやく、岡村委員長の出席問題に結論を出した。

大会では、続いて、午後六時まで活動経過報告、夕食後、午後六時四五分から九時三〇分まで七三春闘方針案説明が行われ、食品労連脱退の是非について予定されていた審議を行うことなく、大会第一日目を終わった。

3  同月二六日午前八時三五分、構成人員一〇二名中一〇一名の出席をもって、大会二日目の審議が開始された。山崎委員長は、食品労連脱退の是非について、今後とも食品労連に加盟して組合活動を続けていくべきである旨を述べて、右議案についての説明とした。

大会開催に先立ってあらかじめ執行部から代議員に配されていた議案書には、「議案書(その一)」のほかに、「議案書(その二)」があった。「議案書(その一)」には、食品労連脱退問題について、「食品労連に加盟していると、プリマ労組の主体性が失われ、組織内が混乱し、食肉他労組との共闘もできないから、かえってマイナスであり脱退すべきである。」との意見と、「労働者の要求を実現するためには、企業内だけの闘いでは不十分であり、今後も食品労連に結集してすべての食品労働者、地域の仲間と手をつないで一緒に闘っていくことが必要である」との意見がある旨記載したうえ、単に食品労連脱退の結論のみを話し合うのではなく、現在の職場や労働、生活の実態がどうなっているのか、会社は今後どのようにしようとしているのか、労働者としてどう対処していったらよいのか、ということと結びつけてこの問題を討議していただきたいと記載してあった。ところが、食品労連脱退問題について中央執行委員会自体が、脱退反対の立場に立つ山崎委員長、徳丸書記長の両名と、脱退賛成の立場に立つ他の四名の中央執行委員の間で、意見調整がつかず、委員会としての統一見解をまとめることができなかったことを反映して、「議案書(その二)」には、まず冒頭に、「産別への結集について」と題して「今後とも食品労連に加盟して組合活動を継続していくべきである。」との山崎委員長名による文章を掲載し、続いて、「産別結集(食品労連)是否に関する討議資料」として、「食品労連を脱退すべきである。」との高橋副委員長、関口書記次長、高木、中山両中央執行委員の四名による文章と「食品労連を脱退すべきではない。」と題して脱退賛成派の主張に反論を加えた文章を併記していた。このため、大川代議員や関西支部選出の古田充宏代議員から、「中央執行委員会内部の意見を統一することもできないまま脱退賛成、脱退反対の両意見を併記した議案を提出するというのでは執行部としての職責を果たしたことにはならない。中央執行委員会としての意思統一を行ったうえで大会に再度提案すべきではないか。」といった意見が提出されるなど、議案書の取り扱いをめぐって、議事が紛糾した。高橋副委員長は、「議案書(その二)の二頁目上段の『産別結集是否に関する討議資料』との題を記載した部分以降は討議資料であって議案ではない。」旨の説明を行ったが、議場の混乱はおさまらなかった。そこで、中央執行委員会を開いたうえで、山崎委員長が「中央執行委員会の意思統一が十分でなく議案書の構成が適切でなかったことから議事を混乱させたことを陳謝する。」旨述べた。ところが、大川代議員から、更に、「討議資料も含めて議案書として、脱退反対、脱退賛成の両意見を併列的に提案された議案として取り扱うべきである。」との提案がなされたことから、大会は、結局、採決によって、「議案書のうち討議資料として提出されているものはあくまでも討議資料として取り扱い議案としない。」旨を確認して、午前中の討議を終わった(時刻は、この時点で正午。)。

昼食後、午後零時五〇分ごろから審議が再開された。冒頭、議長(小松)が、「会場を午後四時まで借りているから、食品労連脱退の議案については二時ころまでに結論を出してもらいたい。」旨、議事進行について要請した。続いて、食品労連脱退の是非について各支部において討議した内容の報告という形式で、各支部選出の代議員が発言した。代議員の質問に対する高橋副委員長の回答のうち合理化に関する発言をとらえて、古田代議員、大川代議員らが、高橋副委員長に質問を繰り返した。これに対して、本社支部選出の花岡義人代議員から、「閉会予定時刻も迫っているから何とか食品労連脱退問題についての結論が出せるような方向にもっていくべきだ。」との提案がなされた。しかし、古田代議員は、「そのようなやり方は独善的であり、十分な討議を行ったうえで結論を出すべきだ。」と反論し、更に、中山執行委員の「第八回定期全国大会で脱退提案がなされた時点で、プリマ労組は、形式的に食品労連に参加しているにすぎない状態となった。」旨の発言をとらえて、現時点における食品労連とプリマ労組の関係について中央執行委員会の統一見解を要求した。このため、議事を中断して中央執行委員会を開き、山崎委員長が、「まだ、現在、食品労連に加入しているなかで活動している旨を中央執行委員全員で確認した。」と報告した。右報告後、大会は、休憩に入り、その間に、議事運営委員会が開かれた。

午後五時二五分ごろ、審議は再開され、議事運営委員会から、「六時四〇分までに食品労連脱退の是非について結論を出し、七時四〇分までに役員選挙を行い、その後、議長団解任、労働歌合唱を行って、八時には閉会する。」旨、審議予定が発表された。関西支部選出の川島進一特別代議員(同支部執行委員長)は、「本大会において食品労連脱退問題について採決を行うのか、それとも継続審議とするのか。」と議事運営委員会の見解をただした。議事運営委員長でもある徳丸書記長は、「いろんな意見をはっきり出さないうちに採決に入ったら問題があるであろう。食品労連脱退の是非についての投票と役員選挙を含めて七時四〇分までに終わらせるという時間を予定したので、右時間内に、採決してもらうよう努力してほしい。」旨を述べた。続いて、大川代議員が、「実質的な討議に入っていないのに一時間ですませることに反対する。議事が混乱したのは中央執行委員会としての意思統一がなされていないからである。中央執行委員会としてどういう立場で議事運営に臨むのか。」と発言したことから、山崎委員長は、中央執行委員会を開くために休憩を求めた。

4  三〇分の休憩後、山崎委員長は、「議案提出の方法及び大会での質疑応答における執行部の態度に適切さを欠いたことによって、議事の混乱をまねいた。高橋副委員長、関口書記次長、高木、中山両中央執行委員の四名は、議事の混乱をまねいた責任をとるとして辞意を表明している。自分自身の進退については、大会の判断にあずけたい。」旨述べた。

山崎委員長の右発言に対して、川島代議員は、「さきほど休憩を与えたのは、食品労連脱退問題について結論を出すのか否か、継続審議にするのか否かについて中央執行委員会に討議してもらうためである。中央執行委員会は、右の点についてどのような討論をしたのか。」と中央執行委員会の見解をただした。山崎委員長は、「この大会の場で結論を出すようにしていただきたい。」旨回答したが、川島代議員が脱退問題について無記名投票で採決するということか。」とかさねて質問したのに対しては、「採決方法について申し上げたのではなく、この場で論議して結論を見いだすようにしていただきたい。」と回答して、採決についての明言を避けた。

川島代議員は、山崎委員長の回答に納得せず、「二日間の議事を混乱させた責任は中央執行委員会全員にある。」として、中央執行委員会全員に対する不信任案を緊急動議として提出した。

大会は、採決の結果、出席一〇一名中賛成五八名、反対二〇名、態度保留二二名で、川島代議員提出の右提案を、動議として取り上げることを決定した。続いて、議長から、「直接無記名投票によって不信任案の採決を行いたいが、組合規約のなかに解任はでているが不信任はでていない。その点どうしたらよいか検討してほしい。」旨の発言があった。川島代議員は、「不信任ということは、執行委員会の道義的責任と解釈しているので過半数の賛成による不信任決議を行ってほしい。」「不信任された場合、あるいは中央執行委員会が辞任した場合の処理については、各支部の委員長を集めた世話人会、ないしは三役を集めた中央委員会で、きたるべき春闘の対策、今後の方針というものを検討すべきものと考える。」と述べた。これに対して、古田代議員は、「組合規約上、役員解任の場合は三分の二以上の賛成を要するのであるから、不信任の場合も解任に準じて三分の二以上の賛成によって決議をすべきである。」と主張し、更に他の代議員からも「不信任されれば、辞めざるをえない以上、不信任は実質上解任と同じである。」といった発言もなされて、不信任決議の解釈について議事が紛糾した。代議員の間からは、「規約七九条に基づき、中央委員会を開いて規約の解釈をはっきりさせるべきである。」「全国大会で解釈すればよい。」「規約八〇条により、新しい規約を作るという意味で、不信任の取り扱いについて大会で決定すべきである。」等の発言がなされた。大会は、中央執行委員会の不信任が解任と解されるか否かについて挙手による採決を行い、不信任を解任と解する者四三名、解さない者五三名、態度保留四名という結果で、不信任を解任と解さない旨を決定した。しかし、北陸支部選出の代議員から「解任について定めた規約五九条が不信任決議に適用されないとすれば、組合規約には、不信任についての条文がないのであるから、新しい規約をつくらない限り不信任決議の採決はできない。」との発言があり、古田代議員が再度「解任について三分の二以上の賛成を必要とするのであるから、不信任も三分の二以上の賛成を必要とするとすべきである。」と述べた。これに対して、関西支部選出の中山代議員が「全国大会議事規則に基づき過半数で決議すれば十分である。」と発言するなどして、再び、議事は混乱した。

大会は、問題点を整理するため、議事運営委員会を開いた。議事運営委員会は、不信任決議の取り扱いについて、「規約をつくることを前提に、過半数か三分の二かを大会で採決してほしい。規約の条文については、大会の決定に基づき、中央執行委員会で文章化した条文を次回全国大会に提出して承認を求める。」という収拾策を示した。大会は、規約作成を前提として採決方法を決めることを、「異議なし」の声により確認したうえで、不信任決議につき過半数の賛成で足るか三分の二以上の賛成を要するか直接無記名投票を行った。なお、右投票にあたって、大川代議員ら北陸支部出身の代議員一一名を中心とする合計一三名の代議員は、不信任決議の採決方法についての議決は組合規約五五条(全国大会開催三週間前に、議題を通告しなければならない旨規定する。)の手続を遵守して行われねばならず、後日の異議申立の権利を留保するため投票には参加しない旨、文書をもって議長に通告して、投票を棄権した。投票の結果、過半数による決議で足るとするもの五五票、三分の二以上の賛成を要するとするもの三三票、棄権一三票(前記大川ら一三名。)により、過半数の賛成によって不信任を決議することができる旨決定した。

5  続いて、中央執行委員会不信任案についての採決が、直接無記名投票によって行われ(前記大川ら一三名も投票に参加。)、賛成五三票、反対四二票、無効票六票をもって、中央執行委員会不信任が決議された(この時の時刻は、二七日午前一時三〇分ころ。)。

不信任決議後、川島代議員は、「副議長を中心に議事運営委員会を開いて早急に今後の時間配分を検討してもらいたい。」旨発言した。これに対して大川代議員は「副議長を入れた議事運営委員会というのは規約上定めがない。」と発言して反対した。川島代議員は、次いで、書記長、書記次長を中心に議事運営委員会を開催することを提案したが、古田代議員は、「大会の成立要件である中央執行委員が不信任をうけたのだから、中央執行委員は大会に参加する権利を欠き、大会は成立要件を欠くことになるからこれ以上運営できない。」等述べて、反対した。川島代議員は、更に、「中央執行委員会は不信任されたが、辞任したわけではない。大会が継続できないのなら流会にしたうえ、中央委員会を早急に招集するよう提案する。」と述べたが、古田代議員は、「不信任をうけた中央執行委員長は中央委員会を招集する権限はないから、中央委員会も開けない。」旨を発言し、大川代議員は「規約上ではこの大会はもう進行することができない。」と発言するなどして、議場は騒然となり混乱した。代議員席、傍聴席(約三〇名が右大会を傍聴していた。)からは、「不信任決議が採決されたのに中央執行委員がその場にいるのはおかしい。」「中執は、ここにいちゃいけないんだ。」「中央執行委員は発言しちゃだめだ。」といったやじが出された。右やじを受けた中央執行委員らは、議長の許可を求めることもせず、無言のまま、山崎委員長を先頭に、徳丸書記長、続いて他の四人という順番で、議壇を降りて、退場した。また、中央執行委員らの退場に呼応するように、大川代議員ら北陸支部選出の代議員など代議員三九名が退場した(時刻は、午前一時五〇分ころ。)。

右退場後、議長(小松)は、三〇分間の休憩を宣言した。

議場から退場した中央執行委員及び三九名の代議員は、会場の外の廊下に置かれたソファーに座るなどしていた。議場に残っていた支部執行委員長らは、退場した支部執行委員長ら(大川、林、東海林の三名。)に対して、自己の支部の代議員を連れて議場にもどるように呼び掛けたが、大川らは、「大会が規約に基づいて運営されていない。」と述べて、議場にもどることを拒否した。

前記、議長による休憩の宣言後、約二時間が経過しても、退場した中央執行委員、代議員らは議場にもどらなかった。議長は、午前三時五〇分ころ、審議打ち切りと議長団解散を宣言した。ところが、「退場した代議員らを廊下から議場に呼びもどしたうえで、審議打ち切りの宣言をすべきである。」との発言が傍聴席からなされたため、廊下の代議員らを議場に呼びもどしたうえで、再び、議長が、審議打ち切り、議長団解散を宣言した。

なお、執行部の退場から、右審議打ち切り宣言に至るまで、廊下にいた中央執行委員らによって、中央執行委員会が開かれたことはなかった。

四  第九回臨時全国大会後の状況

1  議長による審議打ち切り宣言後、本社支部、東京支部の代議員等約二〇名は自動車を使って会場から帰ったが、他の代議員、傍聴人等は、早朝で(時刻は、午前四時ころ)交通機関が動いていないことから、議場に残っていた。川島代議員が、議場から、控室に行こうとしたところ、議場に残っていた代議員らが川島代議員に詰め寄って、「あんたが先のことを考えずに不信任動議を提出したからこんなことになった。」「支部に帰って何て説明するんだ。」等発言した。このため、川島代議員は、会場に残っていた各支部執行委員長に対し、集まるよう呼び掛けた。

川島代議員(関西支部執行委員長)の呼び掛けに応じて、大川北陸支部執行委員長、津川猛忠茨城支部委員長、松尾満九州支部執行委員長、末松秀次四国支部執行委員長、林芳昭北海道支部執行委員長、東海林英二東北支部執行委員長が集まり、右七支部の執行委員長によって、会場内の別室において、事態収拾のための話し合いが行われた(小松武本社支部執行委員長、秋岡賢二東京支部執行委員長の二名は、すでに、自動車を使って、会場から帰っていた。)

右話し合いの席上、川島は各支部執行委員長による右集まりを「世話人会」と称し、「大会開会中に議壇を降りて退場した山崎委員長以下の中央執行委員の行動は、中央執行委員としての権限と義務を放棄するものである。」と述べ、「(1)組合の財産等の管理は従来の中央執行委員六名が行う。(2)積極的な執行業務は見合わせる。(3)外部との債権債務関係については昭和四八年二月二七日をもって明確にし、それ以前に発生したものについては速やかに事後処理にあたる。(4)専従者としての賃金は財産管理に対する対価として従来どおり支払う。(5)専従者の職場復帰は、現段階ではなんともいえないが、出身支部が責任をもってあたる。(6)今後の組合組織は今後世話人会で法律問題等をからめ方向性を出していく。(7)次回の世話人会を三月四日プリマ労組組合本部事務所で開催する。」という収拾策を、他の六名の支部執行委員長らに示した。これに対し、大川は、「中央執行委員会不信任決議の法的効力自体に疑義がある。」旨発言した。結局、「次回の世話人会を三月四日、プリマ労組組合本部事務所で開催する。それまでに、川島、津川の両名は、中央執行委員会不信任決議の効力について調査してくる。」という二点につき、全員が合意して、午前六時ころ、右七名の会合は終わった。

七名の支部執行委員長による右話し合いが終わると、川島は、議場に残っていた代議員、傍聴人らに対し、世話人会において、前記(1)ないし(7)の各事項が決定された旨報告した。続いて、川島は、会場に残っていた山崎以下の中央執行委員六名に対し、右同様の報告を行ったが、山崎は、川島に対し、「一応報告としてはきいておくが、了承した訳ではない。中央執行委員会不信任決議の法的効力について疑義がある。」旨述べた。

2  同日(二月二七日)午後四時から五時三〇分ころにかけて、関口、高木(以上、中央執行委員)、松尾、川島、小松、秋岡、末松(以上、支部執行委員長)、坂本寿夫、高橋栄春、野村義武、山本武夫らが集まって、プリマ労組の今後の活動等について話し合った。右話し合いのなかで、「食品労連脱退反対派が自分たちの主張を押し通すような行動しかとらないのなら、場合によっては、新しい労働組合を結成することもやむを得ない。」旨の発言もなされた。

3  翌二八日、山崎委員長は、「第九回臨時全国大会における中央執行委員会不信任に関する見解」と題して、「右不信任案の提出は全国大会議事規則所定の手続に違反してなされたものであり、実質的には役員の解任要求に基づいた決議であるにもかかわらず三分の二の同意を得ていないから無効であり、更に、右の点をおくにしても、右不信任決議は、不信任は解任ではないとの大会決議を前提としてなされたものであるから、中央執行委員会は解任されていない。中央執行委員会は、第八回定期全国大会で決定された運動方針に従い、組合運営を執行する。」旨の声明を、テレックスによって、各支部に流し、同年三月一日から二日にかけて、右同内容のビラを、全国各支部において、組合員に配布した。なお、右声明(以下、右テレックス及びビラによる山崎の声明を総称して「山崎見解」という。)の内容作成及び発表にあたって、中央執行委員会は開かれていないし、「世話人会」の了承も得られていない。

4  同月四日、東京都霞ヶ関三丁目二番五号所在プリマ労組組合本部事務所において、第二回「世話人会」が開かれた。各支部執行委員長のうち六名が午前一〇時に本部事務所に集まって、話し合いを始め、午前一一時三〇分ころ、遅れて二名が現れ、更に午後になって、欠席していた津川の代理として山本武利茨城支部書記長が事務所に現れた。世話人会は、午後四時ころまで開かれ、この間、組合本部事務所にいた山崎以下の中央執行委員を呼んで山崎見解についての説明を求めるなどのことも行われた(中央執行委員は、世話人会の話し合いの場から席を外していた。)。しかし、「山崎委員長が世話人会の了承を求めることもなく前記山崎見解を発表したのは、第九回臨時全国大会の存在を無視し、世話人会における合意事項を否定した行為であって許されない。」と主張する川島らと、「山崎見解は正当であり、これを支持する」旨主張する大川らに分かれて、議論は平行線をたどり、何らの結論も見いだせないまま、午後四時ころ、借りていた組合本部事務所の貸与時間が終了したことから、世話人会は、散会した。

五  原告組合の結成

1  同月三日夜から四日にかけて、プリマ労組組合員二〇名余りが、東京都港区高輪二―一七―八所在ホテル東京に集まった。あらかじめホテル東京に右組合員らが集まっていることを知らされていた川島、松尾、末松、小松、秋岡の五名の支部執行委員長は、世話人会の解散後、プリマ労組組合本部事務所からホテル東京に向かい、同所において、午後六時一〇分から、新組合結成のため話し合った。右話し合いの場においては、「世話人会は解散のやむなきに至った。」「話し合いによる事態収拾は困難である。」「新しく労働組合を結成して、プリマ労組の他の組合員を吸収していこう。」といった発言が大勢を占め、松尾、小松、秋岡、川島、末松(以上、支部執行委員長)、関口、高橋、高木(以上、中央執行委員)ら合計二八名のプリマ労組組合員が、新たに「プリマ民主労働組合規約」を採択し、中央執行委員長関口、同副委員長高木、以下の役員を選挙して、同日、午後一一時二〇分までに、原告組合の結成手続を終えた。

2  右二八名は、原告組合結成直後の同日夜半から翌五日早朝にかけて、ホテル東京から、プリマ労組各支部に電話連絡を行い、プリマ労組組合員に対し、原告組合への加入を呼び掛けた。

プリマ労組各支部では、原告組合への加入呼び掛けに応じ、同月九日までに一九二〇名(プリマ労組の組合員数の過半数を超えた人数である。)が加入し、更に、同年五月二〇日までに、約二六〇〇名が、原告組合に加入した。その後の原告組合の組合員数は、同年六月四日現在で二六三九名、同年六月二〇日現在で二六七八名、同年七月二九日現在で二八九二名となった(なお、その後の原告組合の組合員数は、昭和五三年七月現在で、約三四〇〇名である。)。

六  残留組合員らの対応

1  山崎委員長は、同年三月七日、テレックスによって、中央執行委員及び各支部執行委員長による拡大中央執行委員会の招集を各支部に通知した。ところが、原告組合結成を裏付ける事実が判明したことから、山崎委員長は、プリマ労組が事実上分裂したことを認め原告組合へ加入した組合員を除いて組合活動を続けることにして、山崎、徳丸の両中央執行委員、大川、津川、林、東海林の支部執行委員長四名及びその他の五支部からのオブザーバーの出席による拡大中央執行委員会の招集をあらためて通知した。同月九日、右拡大中央執行委員会が開催された。

山崎委員長らは、同月一〇日ころ、各支部の選挙管理委員を任命し、各支部での投票によって、支部執行委員長、同副委員長、同書記長、同執行委員らを選出した。同月二三、二四日、右役員を構成員とする昭和四七年度第一回中央委員会を開催して、中央執行委員二名を補充した。次いで、同年六月一〇、一一日に開催した同年度第二回中央委員会において、プリマ労組組合規約を改正した(右改正の主たる内容は、「全国大会代議員の組合員五〇名に一名という割合で選出する」という規約を「組合員二〇名に一名の割合で選出」することに改める、というものである。)。右改正された組合規約に基づき、組合員二〇名に一名の割合で大会代議員を選出したうえ、同年七月一五、一六日、右大会代議員による全国大会を開催した。右全国大会においては、前記の規約改正を承認したほか、プリマ労組が分裂した旨報告し、原告組合に加入した者を除名または無期限の権利停止処分にすることを決議した。

そして、プリマ労組組合員のうち、原告組合に加入しなかった者は、その後もプリマ労組の名称を用いて、山崎を中央執行委員長として、引き続き組合活動を行っている。これが被告組合である。被告組合の組合員数は、同年五月一〇日現在で一〇〇八名である(なお、その後の被告組合の組合員数は、昭和五二年七月現在で約三五〇名となった。)。

第二  前記第一の認定事実を基礎として、原告の請求の当否について検討する。

一  原告の主張は、要するに、プリマ労組が原告組合と被告組合とに分裂したから、原告組合はプリマ労組の財産につき共有持分を有する、というのである。

ところで、いわゆる組合の分裂という法理(労働組合(以下「旧組合」という。)において、その内部に相拮抗する異質集団が成立し、その対立抗争が激しく、多数決原理がその機能を停止し、組合の存立ないし運営が不可能となり、各集団が二個以上の組合(以下、「新組合」という。)に分離独立するに至るというような事態が生じた場合に、旧組合の財産につき、新組合双方に権利を肯定する法理をいう。)を認めることができるか否かについては争いのあるところであるが、組合の分裂という特別の法理の導入の可否については、旧組合の内部対立によりその統一的な存続・活動が極めて高度かつ永続的に困難となり、その結果旧組合員の集団的離脱及びそれに続く新組合の結成という事態が生じた場合に、はじめてこれを検討する余地が生ずるものと解される。

二  そこで、以下、本件において、食品労連脱退賛成派に属する組合員がプリマ労組から集団的に離脱して原告組合を結成するに至るまでに、プリマ労組の統一的な存続・活動が極めて高度かつ永続的に困難となったと認められるか否かにつき、検討する。

1  (中央執行委員会の機能停止について)

(一) 原告は、中央執行委員らが不信任決議成立後退場したことによって辞任の効力を生じたが、なお中央執行委員長は組合の統一的運営のため必要な措置をとる権限と義務を有するところ、山崎委員長は右権限と義務を放棄したから、中央執行委員会はその機能を完全に停止し、プリマ労組は、規約にのっとって運営することが不可能となった旨主張する。

(二) そこで、まず、不信任決議の効力について、判断する。

《証拠省略》によれば、昭和四八年二月当時のプリマ労組組合規約一五条五号は、本部役員の不信任は全国大会において決めなければならない旨規定し、同規約一三条に基づき定められた全国大会議事規則一三条二項は、中央執行委員会の不信任に関する動機は議事運営委員会に提出する旨、同規則一四条二項は、不信任に関する動機は優先して審議しなければならない旨、それぞれ規定している。そして、プリマ労組組合規約は、議事について、同規約五三条二項が、議事は議決権を有する出席者の過半数によって決し、可否同数のときは議長が決定する、と定めるとともに、規約・規則の改正につき同規約五三条二項但書が全国大会代議員及び特別代議員定数の過半数の同意を必要とする旨、本部役員及び支部役員の解任につき同規約五九条三項が有効投票数の三分の二以上の同意を必要とする旨、並びに、中央委員会の解任につき同規約六〇条三項が前条三項を適用する旨、それぞれ例外を定めているが、本部役員の不信任につき例外を定めた規定は存在しない、との事実が認められる。

右認定の事実によれば、プリマ労組組合規約及び全国大会議事規則は、全国大会において本部役員の不信任の決議をなしうることを規定しているものと解されるところ、右不信任決議につき例外規定は存在しないから、不信任決議についても、当然規約五三条二項が適用され、議事権を有する全国大会出席者の過半数をもって決しうると解するのが相当である。

したがって、前記第一で認定した中央執行委員会に対する不信任決議は有効に成立した、と認められる。

なお、被告は、不信任決議は、全国大会議事規則に違反した無効な規約改正に基づくものであるから、効力を有しない、と主張している。しかし、不信任決議は全国大会において議事権を有する出席者の過半数をもって決しうると解されることは、前記のとおりであって、不信任決議を行うために規約改正を必要と解する余地はないから、規約改正を要することを前提とする被告の右主張は、失当である。

(三) 右のとおり中央執行委員会に対する不信任決議は有効に成立しているが、不信任決議は解任と異なるから、不信任決議の成立によって、中央執行委員会の地位・権限は何ら影響を受けないものと解される。

(四) ところで、原告は、中央執行委員らの退場によって辞任の効力が生じた旨主張している。

確かに、前記認定のとおり、山崎委員長は、高橋副委員長らが辞意を表明している旨発言し、自らも進退を大会にあずけると発言している。しかしながら、右大会において山崎委員長の右発言をもって辞任の申し出と取り扱われたと認めるに足る証拠はなく(《証拠省略》によれば、プリマ労組組合規約五八条は、役員の辞任には全国大会又は中央委員会の承認が必要である旨規定しているところ、右大会において、右委員長の発言を辞任の申し出と取り扱い承認を与えようとした様子はうかがわれない。)、また、中央執行委員らの退場をもって辞任の効力を認むべきとする根拠は見いだし難い(山崎委員長は、「中央執行委員がその場にいるのはおかしい。」旨のやじを受けて退場したのであるが、昭和四八年二月二八日には委員長見解を明らかにし、同年三月七日には拡大中央執行委員会を招集するなどプリマ労組委員長として行動しているのであるから、右退場をもって辞任の意思表示をなしたと認めることはできない。)。

したがって、中央執行委員らが辞任した旨の原告の主張は、理由がない。

(五) 以上のとおり、中央執行委員会に対する不信任決議は有効に成立しているが、不信任決議は解任と異なるし、辞任の効力も生じていないのであるから、中央執行委員会の地位・権限は何ら失われることなく、中央執行委員会は存続していたことになる。したがって、中央執行委員会としては、有効に成立した不信任決議に対応(辞任するか、再度信任を問う行動をとる等)したうえ、組合運営のため必要な権限を行使すべき職責があったというべきである。ところが、中央執行委員らは退場して全国大会の継続を図ろうとしなかったのであるから、中央執行委員会はその職責を果さなかったといわざるを得ない。

しかしながら、中央執行委員らの退場をもって、中央執行委員会の機能が完全に停止しプリマ労組を規約にのっとって運営することが全く不可能となったとまで認めることは困難である。なぜならば、中央執行委員らは退場することによってその職責を一時的に放棄したものというべきではあるが、右退場によって中央執行委員会の地位・権限は法律上何ら影響を受けていないことは前記のとおりであって、全国大会、中央委員会あるいは中央執行委員会の招集が将来にわたり不能であるとは認め難いのであるから、中央執行委員会が将来にわたり規約にのっとって行動することができなくなったとまで認めることはできないからである(現に、山崎委員長は、その後も、プリマ労組執行委員長として行動している(行動内容の当否に争いがあったにしても)のであるから、再度全国大会を招集するなり、あるいは中央委員会や中央執行委員会を招集する方法を採る余地はあったものと認められる。)。

したがって、中央執行委員らの退場をもって、プリマ労組の活動が永続的に困難になったとまで認めることはできない。

2  (世話人会の解散について)

(一) 原告は、プリマ労組は、その存立と統一的運営のための最後の機会であった中央執行委員会を代行する世話人会を解散させたことによって、完全に執行機関を失うことになり、組合の存立と民主的運営が決定的に不可能となって解体した、と主張している。

(二) しかしながら、プリマ労組の本来の執行機関である中央執行委員会が執行機関としての機能を完全に停止したものでないことは前記のとおりである。

(三) のみならず、

(1) 「世話人会」という会議が組合規約上の根拠を有するものである、あるいは、組合慣行に基づき設置されたものであると認めるに足る証拠はなく(第七回全国大会において、各支部執行委員長を構成員に加えた拡大中央執行委員会を開催して役員候補者を選出する旨決定され、右決定に基づき拡大中央執行委員会が開かれた事実は認められるが、右委員会は全国大会の了承のもとに開かれており、第九回大会終了後に開かれた「世話人会」と事例を異にする。)、

(2) 前記第一認定の事実によれば、原告主張の「世話人会」は、川島関西支部執行委員長が、会場に残っていた代議員に詰め寄られ、他の支部の執行委員長を招集して開催したにすぎないものであり、第九回大会の決定に基づき開催されたものではない、

と認められるのであるから、世話人会がプリマ労組の本来の執行機関である中央執行委員会を代行する権限を有する機関であったということもできない。

(四) したがって、世話人会が解散したことにより、プリマ労組が完全に執行機関を欠いたことになり、その統一的な存続・活動が極めて高度かつ永続的に困難となったと認めることは到底できない。

3  その他、プリマ労組の統一的な存続・活動が極めて高度かつ永続的に困難となったとまで認めるに足る証拠はない(かえって、《証拠省略》によれば、組合規約上、中央執行委員会は中央執行委員により(二一条)、拡大中央執行委員会は各支部代表者三名以上の連署により(二四条)、中央委員会は中央委員三分の一以上の連署により(一八条)、臨時全国大会は組合員の三分の一以上の連署により(一二条)その招集を要求する方法が規定されており、右のような規約上の手段を用いることによりプリマ労組の運営の正常化を図る余地も全くなかったわけではないものと認められる。)。

4  (まとめ)

前記第一で認定したところによれば、プリマ労組は、その内部に、食品労連を脱退しようとする集団と食品労連脱退に反対する集団との対立が生じ、第九回臨時全国大会ではその間の抗争により当該大会の円滑な運営が困難になったことは認められるが、その結果、プリマ労組の統一的な存続・活動が極めて高度かつ永続的に困難となったとまで認めることができないのは、前記検討のとおりである。かえって、前記第一で認定した事実によれば、食品労連脱退賛成派に属する組合員二八名がプリマ労組から離脱して原告組合を結成し、その後短期間のうちに多数の組合員がプリマ労組を離脱して原告組合に加入するに至ったが、それにより、プリマ労組は、統一体としての機能を喪失して自己分解したものとはいえず、なお労働組合として組織的同一性を失うことなく存続していた、と認めるのが相当であるから、原告組合は、なお存続するプリマ労組とは別個の、単なる集団的離脱者により新たに組織された労働組合であると解するほかない。

第三  結論

してみると、本件においては、組合の分裂という法理の導入の可否を検討する余地はなく、かえって、原告組合はなお存続するプリマ労組とは全く別個に単なる集団的離脱者により新たに組織された労働組合にすぎないと解すべきものであるから、組合分裂により原告組合がプリマ労組の財産を取得した旨の原告の主張は、その前提を欠き失当である。したがって、その余の点につき判断するまでもなく、原告の本訴における各請求はいずれも理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 越山安久 裁判官 小林正明 三村量一)

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